新しくブログを始めるにあたって

3ヶ月ぶりの更新にあたって、以下のような変更点を設けようと思う

 

①過去に書いた記事の中で、つまらないものは消す

 

僕の書く文章は、とにかくくどい。安いスーパーマーケットで売ってる、安い油を使って揚げたコロッケみたいな感じだ。既にこの表現からくどいわけだが。

 

で、今現在で読み返して、特にくどさが酷くて読むに耐えないな、と思える記事に関しては、全て削除した。

 

なんとまあ、半数の記事が削除されてしまったわけだが。

 

しかし、それも仕方ない。

 

今まで野放図に書き連ねてきた文章を、人に見られたら非常に困るのだ。

 

ただでさえ僕の冗談はいつも滑るのに、その中でも選りすぐりのつまらない奴を発掘されたらと思うと、僕はもう怖くてインターネットもできない。

 

そんな訳で、明らかにつまらない、人に見られたら危険な記事は、全てお蔵入りとなった。

 

また、残った記事も、実を言えば特に面白いというわけではないのだが、つまらない中にも僕が気に入っているものなどはある訳で。

 

要するに、それらは自分で見返すために残しておいているので、なんだよ、残した記事もつまんないじゃんという真っ当な批判も、ここでは控えて貰えるとうれしい。そもそも僕に面白さを期待するのが間違いだ。

 

 

②これから書く記事は、ちゃんと推敲してから公開する。特に、自分に酔ったような表現技法を避ける。

 

僕は大学時代によく、「お前は自分の書いたものを自分で見返さないのか」と怒られたものである。

 

ぼくは、素直に「はい、見返しません、めんどいので」と返したかったが、そうすると更に怒られそうなので何も言わないで済ませてきた。

 

この悪癖は、文章を書く上で最悪の障害になった。なぜって、①でも書いたように、後で記事を読み返すと死ぬほどつまらなかったという事が頻発したのだ。

 

今更ながら、自分のズボラさをちょっと反省しようと思う。

 

特に、表現技法。

 

もう具体例を挙げるとキリがないのだが、例えばパフェを食べた時の感想に、「そのマンゴーの酸味は、見たこともない遠い異国の国の踊りを俺たちに見物させるようだった」とか書かないでほしい。

 

大袈裟なんだ、なにもかもが。読んでる人引いちゃうでしょ。

 

もうこの手の恥をかくのは懲り懲りなので、自分の書いたものは冷静な目で見て、アラがないかちゃんと検証するようにしたい。

 

以上。

 

ついでにこの記事は校正してません。

呼吸をするようにエロ漫画を読んでいる

 

 

タイトルの通りで、特に語ることも無いが、

 

 

今日はこの議題について深く掘り下げていこうと思う。

 

 

 

実のところ、俺は、

 

 

毎日のようにエロ漫画を買っては、

 

 

それを主に、エンターテイメントとして楽しんでいる。

 

 

 

「エンタメとして」とはどういう事かと言えば、

 

 

みなさんがテーマパークでジェットコースターに乗るとか、

 

 

或いは、仕事帰りにボルダリングを楽しむとか、

 

 

そう言った感覚で、エロ漫画を読んでいるという、意味だ。

 

 

 

 

ここでこの記事を終われば、単に、

 

「底辺の人間が自分の趣味について語っている」といった捉え方しかされず、

 

 

また悲しいかな、実際のところそうなのだが、

 

 

もう少し待ってほしい。

 

僕に、これを読むことの楽しさを、貴方に伝えることを、許してほしいのだ。

 

 

 

 

 

 

「エロ漫画を読む楽しみ」

 

 

それは、プロジェクションマッピングを通して、様々な景色を見る事に似ている。

 

 

 

これだけ言われると、ピンと来ない人が多いので、さらに説明しよう。

 

 

エロ漫画とは、一冊購入するだけで、

 

眼前を、実に様々な人格のヒロインたちが飛び回り、

 

踊り、歌い、舞台に花を咲かせるように舞う。

 

 

 

彼女たちのストーリーは、(中にはそれ単体で強いメッセージ性を帯びるものもあるものの)基本的にはそれ1つでは弱く、

 

所謂、ありきたりで、読者の性的な欲求を満足させるための、

 

オマケにすぎないことが多々ある。

 

 

 

 

 

だが、それが寄り集まれば、どうだ。

 

 

ありきたりなはずだったストーリーは、

本命のエロティックな描写と共に捻れ会い、

 

 

それがやがてズームアウトし、目では追えないほど極小の世界の出来事となり、

 

そして気づけば大量の雨粒と化して、

 

地面を、あの屋根を、この身体を、濡らすように、なるではないか。

 

 

 

 

この表現で分からなかった人に説明すると、

 

 

要するに、大量にエロ漫画を購入すると、

 

 

一つ一つの話のラッシュに、身体が埋没するかのように感じられて、

 

 

とても良い、という事だ。

 

 

 

 

(これでも分からなかったという人については、考えないこととする)

 

 

 

 

さて、プロジェクションマッピングは、このエロ漫画の織りなす光の機微に、非常に似ていると思う。

 

 

 

想像しても見たまえ。

 

 

 

今まで東京駅に居た貴方が、

 

映像の魔力で、いきなり極寒の北極に飛ばされ、

 

 

流氷が砕け散り、その中の結晶一つ一つの形状が、

 

夜光の中の蜘蛛の巣のように鮮明に見える様を。

 

 

かと思えば、いきなりそこは恐竜の国。

 

B.C.6500年前という太古の地球が、

 

マグマの鼓動と共に大地を震わせ、

 

弱肉強食、血潮湧き踊る脈動を醸し出す、その圧巻を。

 

 

 

 

そして、舞台は未来。

 

光のつぶてが、永遠と伸びるかのような宇宙エレベーターの支柱を流れ、

 

それに包まれ、燥(はしゃ)ぐ10人の子供たちの表情。

 

 

今から、ここから、冒険がはじまる、人類史の新たなる「第1話」のページを。

 

 

 

そう。

 

 

プロジェクションマッピングも、エロ漫画も、

 

実に人々に多くの物語を見せ、

 

そのラッシュで、まるで人を攻め立ててくるような、

 

マシン・ガンの連撃の構成をしているのだ。

 

 

 

 

もう、これ以上の、説明は、必要あるまい。

 

貴方は、すぐにでも、DMMの会員になり、

 

或いは、秋葉原の、とらのあなに向かい、

 

 

手に取れるだけの、エロ漫画を、購入するべきた。(しなくとも良いが)

 

 

 

 

物語の世界は、余りに無制限だ。

 

現実に降り注ぐ雨のパターンを、凌いでしまうようだ。

 

 

僕たちは、そんな物語の洪水に溺れ、その中を掻い潜る、一匹の魚だ。

 

 

何が言いたいか、分からなくなってきた。

 

 

 

とにかく、

 

 

エロ漫画はいいよ!

女に抱かれる空想で生きている

 

 

夏が終わったなんて、誰が言ったのだ。

 

 

 

この、鈍い水の中に居るような、質感と重みを持つ湿気は、

 

 

じわり、じわりとにじり寄り、全身の皮膚を静かになめす暑さは、

 

 

 

最盛期こそ過ぎたものの、こうして僕たを、いかんなく責め立てていた。

 

 

 

 

歩けば、歩くほど、室内のクーラーを求める声が、

 

頭の中に、文字通り熱狂的に滾ってゆく。

 

 

自分がドーム球場だとしたら、そこに集まる血液などのお客さんたちは、

 

 

全員が空調の熱烈なファンで、

 

誰一人としてこの残暑の孤軍奮闘を、歓迎する者は居ないようであった。

 

 

 

 

それでも僕は歩き回る。

 

 

身体が、いくら室内に籠ることを提案し、涼しさの素晴らしさを説き伏せても、

 

心が、もう散歩は懲り懲りだ、行きたいところには行き尽くしたと愚痴を吐いても、

 

 

理由は詳しく分からないが、なぜか外を歩き回ってしまう。

 

 

恐らく、

 

「今まで続けてきたからなあなあで続けたい」とかいう惰性が、

 

「せめて身体を少しでも動かさないと太る」とかいう焦りが、

 

僕を動かしているのだろう。

 

 

 

 

先述したように、僕はもう散歩には飽き飽きしていて、

 

 

行ったことのない、新しい場所を調べてみる、

 

 

なんていう、ものの数分あればできることも、

 

めんどくさがってしないという始末であった。

 

 

 

では、どこを歩くかと言えば、

 

何も調べなくても目的地に行ける、ご近所であった。

 

 

 

幼稚園の時から歩き慣れ、図体だけデカくなりゆく僕を見守ってきた大通りを抜けて、

 

まっすぐ、まっすぐ、行った先には、

 

もうすでに飽きるほど立ち寄って、実際飽き飽きしてしまった、大きなデパートがあって、

 

そいつが辟易した顔で「いらっしゃい。週に3度もご苦労さん」と言うのだ。

 

 

そこで俺は、今晩の糧となる食料品を大いに買い揃える。

 

 

 

 

そして、用事が済んだら、見飽きた顔のデパートに、

 

心の中であかんべえをしながら、足早に立ち去るのだ。

 

 

来たくないなら、来なければいいのに、と自分でも思う。

 

 

だが、そこのお惣菜は安い上に美味であり、

 

ここ無しでの生活は、今や我が家にとってちょっと考えられなかった。

 

 

 

そして勿論、帰りも、僕は徒歩を選ぶのだった。

 

 

 

再び、暑い、早く帰りたい、という、心と身体の訴えが、

 

僕の全身隅々までわたってゆく。

 

電車を使えばいいのに。僕は何をしているのであろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

家を出る時から、僕は、ゴミ屑のようなちっぽけな妄想に浸っていた。

 

 

その世界では、クローン技術か何かで、人工的に造られた人間が、

 

執事、またはメイドとして売られていて、

 

僕は、そのうち、オレンジ色の体毛をした彼女を、2億円くらいで買うのだ。

 

(なんでそんな金があるのかと言われれば、

 

僕がたまたま潮流に乗って財を得たアーティストだから、という、

 

愚かしくも微笑ましい設定が付いているからだ)

 

 

人造人間たちは、家事などを完璧にこなすことはできても、

 

 

感情の振れ幅が極端に小さく、

 

 

怒ることや、自分の境遇・出自などに疑問を持つこともできない、

 

 

いわゆる、仕事だけを正確にこなす、ロボットのような存在であった。

 

 

 

だが、俺の世話をしたオレンジ色の彼女は、

 

 

俺の心神耗弱とした人生を憐れみ、

 

或いは、その中で味わった、誰にでもあるような孤独・孤立の感情に共鳴して、

 

徐々に人間らしい慈しみを得ていく。

 

 

 

物語の中盤、夫婦になった俺たちは、

 

 

まるで、漫才のような仲睦まじいやり取りをする。

 

 

それを見た人造人間売りの男が、目を見張り、驚くのだ。

 

そして言う。

 

「あなた方は、まるで、本物の人間同士のようだ。

 

私は、人造人間がこんな風に人間然として生きているのを、見たことがない」

 

 

 

彼は俺たちを、そう称えてくれた。

 

 

 

 

 

 

どうだろう?

 

おれの妄想の世界は、実に哀れっぽく、

 

俺の、存在すらしない他者の愛に縋る姿を、

 

克明に表していはしないか。

 

 

 

 

だが、俺は、そんな陳腐な、

 

ストーリーとしても、出来合いの、どこかで見たことのあるような、

 

造りが良いとは言えない話を、

 

まるで子犬が自分に与えられた唯一のオモチャであるかのように、

 

後生大事にしているのである。

 

 

 

 

クローンの話に限って言えば、今回は妄想がよく膨らんだ。

 

 

特に、セックスシーンは、頭の悪いアダルト・ゲームのように豊富だった。

 

 

村上春樹よろしく、オレンジの彼女が、俺の腹に陰毛を擦り付けた。

 

初夜のシーンだ。

 

彼女は昨今、俺の子を産みたい、産みたいと頻(しき)りに思うようになっていたらしい。

 

俺は、表立っては困惑しながら、

 

内心は二つ返事で、

 

新しい家族を迎えることを承諾した。

 

 

オレンジの彼女は、ともすると、此方が枯れてしまうほど、僕を求めてきて、

 

精を作っては、彼女に余すことなく捧げる羽目になってしまうのであった。

 

 

 

また、他にも、

 

婚約し、指輪を交わす際、

 

僕は彼女のテーマ・カラーであるオレンジ、

 

彼女は僕の好きな色、ブルーの、

 

それぞれ宝石を選んで、それを翳し合う、

 

ちょっと僕には似合いもせず気障というか、意味不明とも言えるシーンがあった。

 

 

その後、僕は、指輪を仮面ライダーの変身アイテムか何かと勘違いしたのか、

 

あらゆる場所につけてきては、ニヤニヤと眺め、または振りかざし、

 

会う人間会う人間を、困惑させる、という暴挙に出たりした。

 

 

 

 

妄想の中の俺は、しあわせだった。

 

 

 

 

 

下手なプロットの展開もここまでにして、現実にかえろう。

 

歩く道中、俺は喫茶店に来ていた。

 

腹が減っていたし、何より、遂に空調のある場所への渇望が、爆発したのだ。

 

 

 

そこのサンドイッチセットは、サンドイッチは何処にでもあるレベルだったが、

 

 

紅茶だけが、しっかりと茶葉から出していて異様に美味く、

 

総合的に、入ってよかったと十分に思わせるものだった。

 

 

 

そうして、俺は、空想と現実の幸せがごっちゃになった状態で、椅子に腰掛けていた。

 

15:00。家に帰るには、まだ惜しい時間だ。

 

 

さて、喫茶店を出たら、また新手のストーリーを考えようかな。

 

 

オレンジの彼女と、子供ができた後の話がいい。

 

 

そんな事を思いながら、俺は今日を、くだらなく過ごしていた。

 

無職、ブログの更新すらサボる(無能ブロガーの悩み)

 

 

ブログを始めた人のうち、1ヶ月続けられるのは7割、

 

3ヶ月続けられる人は、1割にも満たないそうだ。

 

 

 

俺がブログを始めた3週間前、そんな噂を聞いて、

 

「なんだオマエ、根性なしだな」と失礼ながら思った。

 

 

 

だが、今、まさに、俺の目の前には、

 

「めんどくさいお化け」がのっぺりとした面持ちで立ち塞がり、

 

 

僕が文章を書こうとするのを、緩やかに、優しいとも言える手つきで邪魔してきていた。

 

 

 

彼は、まるで父親が娘に聞かせるかのように、甘い子守唄を歌いかけ、

 

 

「さ、書くのをやめよう、君はよく頑張ったよ。大手を振ってサボるのは、気持ちいいぞ」

 

と、包み込むように俺をあやしてきた。

 

 

 

俺は、そんな彼の許容の大腕に抱かれ、

 

安心しきった表情で、くうくうと眠ってしまう。

 

 

 

そうとも。彼の胸に抱かれていれば、俺は無敵だ。

 

友人から「この記事のギャグ、正直サムくね?」と言われることも、

 

「夏祭りに行く話は若干物足りなかった」と苦言を呈されることも、

 

「原作のチノちゃんと性格が違う」と指摘を受けることも、

 

もう、ない。

 

 

 

たまに、たまにでいい。

 

 

なにか書きたくなったら彼の手を少しだけ離れ、

 

おうちでままごとをする赤ん坊のように、

 

毎日更新なんてやめて、1週間に1回くらいのペースで、更新すればいい。

 

そうだ。俺の更新頻度なんて、誰が決めたわけでもないのだ。

 

俺はプロではない。そんな実力も、名声もない。

 

原稿料を頂く身分ならともかく、

 

しがない初心者ブロガーが、何をムキになっているのか、という話である。

 

 

 

 

 

 

 

ブログを始めて、3週間。

 

 

俺の今月のアクセス数は、2700程度だった。

 

 

少なすぎることもないが、多くもなく、

 

 

自慢になるかは、極めて微妙と言ったところだった。

 

 

 

 

そして何度も言うように、この数は、自分で勝ち得たものではなく、

 

たまたま、SNSに、心優しい知り合いが多少居て、

 

その人達の善意のアクセスによって支えられているものである。

 

 

 

つまり、僕の記事自体は、面白いと言ったことが、まったくなく

 

逆に、「知り合いだから」と読んでくれた方を、

 

薄ら寒いノリの文体で、大いに困惑させた事であろう。

 

 

 

「面白いものが書きたい」

 

 

 

それは、SNSにドップリと浸り始めた1年と半前から、

 

僕が痛烈に思っていたことだった。

 

 

 

 

学生時代にずっと居場所が無かった、哀れな男の叫びなのだろうか、

 

はたまた、よくない目立ちたがり屋の、ちっぽけな功名心の発露なのだろうか

 

 

 

とにかく、僕は、ネットでの自分の発言が、

 

お世辞でも「面白い」と言われることに、快感を感じていた。

 

 

 

ごくたまに、僕なんかでも本当に「面白い」と感じられる、

 

キマッた発言ができた時には、

 

 

 

小さな幸福感に包まれ、その夜を一晩気持ちよく過ごせたものだった。

 

 

 

 

今にして思えば、自分はあまりに小さい、

 

小市民の中でも小市民然とした思考の持ち主だ。

 

 

 

 

いや、それは、これからもそうだ。

 

 

仮に、このブログが、多少、人に見てもらえるようになったところで、

 

 

それは果たして、何かになるだろうか。

 

 

 

こうして記事を書いている時、

 

 

書き始めてしまえば、案外スラスラと筆は乗り、

 

 

楽しく、心地よく、文を紡げるものである。

 

 

 

だが、それ以外の、ふとした日常の瞬間、

 

「お前の書いた文章ね、あれ、意味ないから」

 

と言った声が、頭の中にやんわりと響く。

 

 

 

そうして、だんだんと、更新は滞るようになる。

 

 

そこには、今更文章なんかで食べていけるようにはならない、という、

 

圧倒的な現実があった。

 

 

 

 

これから、何だかんだ、僕は書きたいものを書き続けるし、

 

それは、趣味としては悪くないものかもしれない。

 

 

 

しかし、それは決して仕事にはならないだろう。

 

それが分かっていて、今日も僕は、

 

 

頭の中で、何度も、僕の書いた文が、やがて多くの人に読まれるようになり、

 

 

僕は、それだけで暮らしていけるようになる。

 

そんな妄想を、続けるのであった。

 

 

 

哀れで、目立ちたがり屋な、小市民の活動は、

 

今日も、社会のごく隅っこで、続いている。

チノちゃんと寿司

 

 

みなさん

 

 

 

 

寿司は、好きか

 

 

 

 

 

 

 

俺は、寿司が、大好きだ

 

 

 

 

 

 

俺が虚空に向かって、一人で身振り手振りだけで静かに叫んでいると、

 

チノちゃんが後ろからやってきて、「バカじゃないですか」と言ってきた

 

彼女の目は、あまりに冷ややかで、すでにやってきた夏の終わりを彷彿とさせた。

 

 

「バカは君だ、チノちゃん。

 

今日は寿司だよ。

 

建国記念日や、天皇誕生日すら、裸足で逃げ出すと言われている、あの寿司の日だ。

 

わかったら君も、お寿司に傅(かしず)きなよ」

 

 

僕はこう言って、彼女の言動・態度がお寿司に対してどれだけ不敬かを懇切丁寧に説明したが、彼女は

 

「バカはあなたです。お寿司なんかいつでも、いくらでも食べられるでしょうに。

 

それに昨今、すでに安いお寿司屋さんは街にあふれかえっていて、掃除しても掃除しても抜け落ちてくるティッピーの毛のようです。

 

そんなものを有難がるなんて、財布の中身が寂しいんですか?」

 

と、冷厳とした寿司に対し、平然と熱いディスをかましてきた。

 

俺は黙っていられず、思わずムキになってこう言った。

 

 

 

「チノちゃん、君は勘違いしているよ。

 

俺が食べる寿司はね、確かに多少は安い。

 

だが、その中でも俺なりに厳選して、一番美味しい店を選んでいるんだ。

 

それにね、安くても寿司は寿司だ、我が国のソウルフードだよ。

 

これを嫌いな人間は、秘密警察に捕まって激しい尋問を受けたのち、情報を洗いざらい吐かされてから消されてしまうんだ。

 

どうだ?怖いだろう」

 

 

しかし彼女は、怖がるどころか、より一層呆れ返ったような表情をして、

 

トドメのカウンターとばかりにこう言い放った。

 

 

「何がソウルフードですか。

 

あんな物、ご飯に生魚を乗っけただけでしょう。料理と呼べません。

 

ホントに美味しいものって、作るのに手間がかかって、技が要るからこそ美味しいんでしょうに」

 

 

と、あろうことかお寿司様を、抜き身のヤイバで一刀両断してきた。

 

 

 

 

俺はブチギレた。

 

 

 

 

「言ったね。チノちゃん。

 

覚えておいで。

 

寿司を貶した者には、寿司の裁きが下る。

 

今日、俺の家に来るといい。

 

とこしえの恐怖を、君に与えてあげるよ!」

 

 

気づいたら俺は彼女にそう宣言した後、ずんずんと繁華街に向かって歩いて行った。

 

 

 

 

 

駅前に、デパートのある街。

 

高級食材がズラリ並び、隊をなし、我が物顔で闊歩する場所。

 

しかし、巨大デパートとは独立に、安めのお惣菜を置く食料品店が、地下には存在していた。

 

今回目当ての寿司も、そこにある。

 

 

 

 

 

まず、俺は手始めに、24巻入り1980円税抜きのパックを、2つカゴにブチ込んだ。

 

 

その次に、ウニが入っている12巻入り980円のパックを1つ。

 

 

そして、トドメとばかりに、各380円の

鉄火巻き・ネギトロ巻きのパックを1つずつ。

 

 

 

俺はキレていた。

 

 

 

会計は6000円を超えたが、なに、恐れることはない。

 

チノちゃんに寿司の刑に処す為だ、こんな散財、なんとも思わなかった。

 

 

 

 

 

「うまいかい?」

 

 

気がつくと、俺はテーブルに腰掛け、対面する彼女にそう尋ねていた。

 

 

チノちゃんは、黙々と寿司を口に運んでいる。

 

どうやら、寿司の刑はバッチリと決まったらしい。

 

その美味しさに内面で涙するチノちゃんの心象風景が伝わる。

 

 

 

負けじと、俺も寿司を食べる。

 

美味い。安くても、いい寿司はいい。

 

特に、このマグロトロがいい。

 

チノちゃん、あんまそれ取らないで。

 

俺の分無くなっちゃうから。

 

 

笑顔の絶えない食卓になった。

 

 

 

しかしまあ、6000円分は、流石の食いしん坊2人でも食べ切れなかった。

 

明日食べられるように、冷蔵庫に入れておく。

 

テレビをつけると、野球の試合をやっていた。

 

俺は、チノちゃんの淹れてくれたお茶の湯気を燻らせながら、のんびりとそれを見た。

 

 

 

夏が終わり、もうすぐ秋が、紅葉を連れてやってくる。

 

 

だが、彼らがこの街の目前を覆う前に、もう一回は寿司の刑をやってもいいかな。

 

 

チノちゃんの食べっぷりを見て、そう思った。

人を叩くのが呼吸と同じになってる

 

 

最近、よく思う。

 

日本という国では、ここ最近、人を叩くのが当たり前になっていないか。

 

 

 

 

 

「お前、もしかして、陰キャ?w」

 

1ヶ月前、僕のSNSのリプ欄には、こんなメッセージが送られてきていた。

 

この「陰キャ」という言葉は、もはや定着しすぎて解説が要らないくらいだろう。

 

 

そして、悲しいかな、僕はその「陰キャ」と呼ばれる人々の中でも、

 

かなり最底辺に位置しているという自信があった。

 

なにせ、学校ではいつもみそっかすのようなポジションに居ただけではなく、

 

せっかく始めた仕事も、たった2ヶ月で病気休職してしまうという、

 

いわば、「何も良いところがない」状態だったのだ。

 

 

 

そんなだから、その手の煽りは、悔しいかな、僕に「刺さった」

 

だから僕は相手を口汚く煽り返したし、その後も機を見ては、相手からしつこく煽りが飛んでくるのだった。

 

気がつけば僕は、それから数日、彼に煽られ、また彼を煽り続けていた。

 

最終的には、ブロックしてしまった。

 

 

 

 

そんなことがあってから、月日が過ぎた。時間が経てば、全てを忘れてしまうと思っていたが、

 

生来からの臆病さのせいか、僕は、折に触れては考えていたことがあった

 

それは、なぜ、彼は僕を煽ってきたのだろう。僕に対して、何か気に入らないことがあったのだろうか

 

ということだ。

 

 

 

 

そんな時、たまたまSNSでバズっている意見が目に入ってきた。

 

 

そこには、「最近は嘆かわしいことに、陰キャ陰キャを叩く時代になってきた」

 

と書いてあった。

 

 

そう言えば…僕は思う。

 

僕を煽ってきたアカウントは、よく、

 

自分の学歴があまり良くないこと、

 

就職活動が上手くいかなかったこと、

 

低賃金で我慢して働いていること、

 

などを、SNSで自虐的に話していたはずだ。

 

 

 

なんだ、彼は、僕と同じじゃあないか。

 

僕は、少し安心を覚えると同時に、

 

しかし、これはのっぴきならない、

 

大変な事態であると同時に思った。

 

 

 

それはなぜか?

 

僕は思う。

 

普通、いわゆる「陰キャ」と呼ばれる人間なら、

 

ほかの「陰キャ」と言われる人間に対して、

 

共感意識、仲間意識を持って然るべきだ、と。

 

 

 

だが、僕を煽ってきた彼に、そんな素振りは微塵もなかった。

 

むしろ、こちらを「下」と見るや、

 

喜び勇んで襲ってくる、スラム街のならず者、あるいは、昆虫のような、気質すら感じられた。

 

 

 

「(陰キャ陰キャを叩くのは)同族嫌悪なんだろう」

 

そんな意見が、ネットには書いてあった

 

 

 

だが、僕はそうは思わない。

 

彼らは、同じ境遇の人間を、「同族」だとは思っていないだろう。

 

むしろ、いくら叩いても、貶しても構わない、オモチャの人形以下だとすら、思っているはずだ。

 

 

 

そして、彼は、

 

何か感情的な「理由」があって人を叩いているのではない。

 

叩きやすいから、自分よりも下だから、

 

自動的に、気がついたら、人を叩いているのだ。

 

 

 

僕は、思う。

 

そのような、反射的に人を見下し、叩くような行いは、

 

果たして「人間」のものであると呼べるだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

僕は、僕を煽ってきた彼から、

 

何か、「非人間的な」、恐怖を

 

確かに、感じた。

 

 

 

 

 

 

そして、事は、陰キャ陽キャなどという話に留まらない。

 

 

最近、一つのニュースに対して、莫大とも呼べるバッシングが付いて回るのを、

 

あまりにも、多く、見かけないか。

 

 

此処とは別の、ある国に対して、

 

異様に批判が強まっている。

 

確かに、その国にはその国の、悪いところがあるはずだ。

 

だが、その国の国民まで叩いた所で、僕たちの生活は豊かになるだろうか。

 

ならない、はずだ。

 

 

 

 

僕は、疑う。

 

もしかして、叩く彼らに、目的なんか無いのではないか。

 

ただ、単に、叩きたいから。

 

叩きやすそうだから、叩いているのではないか。

 

 

 

 

改めて、この記事のタイトルに戻ろう。

 

僕は、「人を叩くのが呼吸と同じになっている」と題した。

 

しかし、これだと少し、ニュアンスが違っているだろう。

 

 

呼吸というのは、酸素を取り入れるために、必要だから、することである。

 

 

だが、誰かを叩く人は、そうではない。

 

必要とか、必要じゃないとか、そんな判断を通り越して、

 

「俺たちは人を叩くんだ!それの何が悪いんだ!あっかんべー!べろべろばー!」と、

 

何の目的も無いのにも関わらず、開き直りながら、それをしている。

 

 

 

これは、凄いことだ。

 

倫理観、道徳観、または、もっと言うと、

 

「ひとのこころ」が、無いかのようだ

 

 

 

そして、どんどん人を叩くことが、当然になっていく。

 

 

だれもそれを、おかしいとは思わないかのようだ。

 

 

したがってそれを、止める人も、いない。

 

 

 

かつて、ブルーハーツが、

 

「弱い者たちが夕暮れ、更に弱いものを叩く。その音が響き渡れば、ブルースは加速してゆく」

 

と歌っていた。

 

なんてカッコいい歌詞だろう。

 

 

だが、今、現実は、どうだろうか。

 

 

いくら誰かが叩かれたとしとも、加速するブルースなど何処に存在するだろう。

 

 

弱い者たちが夕暮れ、さらに弱い者を叩く、だけで終わりである。

 

こんなダサい歌詞が、世界の何処にあるだろうか。

 

 

 

終わりに。

 

かく言う僕も、何だかんだと言っては、

 

ネットの世界で「自分より弱い」と見下した相手を、

 

叩いて、しまったことが、ある。

 

 

 

なんだよ、お前も人のこと言えないじゃん、

 

その通りだ。

 

 

 

だが、僕たちは、まだ遅くないはずだ。

 

今から、反省し、

 

悔い改めることは、できる。

 

 

だが、悔やむことさえできなければ、

 

もう、この国は、僕たちの時代は、ずっとこうなんだろうと。

 

思わざるを、得ない。

 

 

3日間で口座の中身が半分になった

貯金が30万から14万に減った

 

 

 

3日でだ

 

 

 

クレジットカード払いがあった

 

 

 

家に食費を入れた

 

 

 

 

父に借りていたお金を返した

 

 

 

だが、俺は、この状況が、未だに信じられないで、いる

 

 

 

 

16万の出費…?

 

 

 

 

果たして、たった3日間で、そんなことがあるだろうか

 

 

 

 

いや、世の中には、沢山の、お金持ちが、いて、

 

 

 

 

毎日、何千万という、お金を、動かしているのだろう

 

 

 

 

そうでなくても、僕から、見て、裕福な暮らしをしている人は、無限におり、

 

 

彼らは、高級な、衣類やら、装飾品やらを、身につけ、

 

 

想像を、絶するような、高級食を、食べて、

 

 

 

生きる、ことを、この上なく、楽しんで、いるのだろう

 

 

それは理解している

 

 

 

 

 

だが、16万

 

 

 

 

俺は、信じる、ことが、できない

 

 

 

なぜ?

 

 

 

 

口座から、お金が、消えた理由を考察してみる

 

 

 

①お金に足が生えて、口座から逃げてしまった

 

 

 

ありうる。

 

 

お金だって、生き物だ。

 

 

生き物は、本来、自由奔放なものだ。

 

 

 

自分の、巣が、窮屈だったら、

 

 

 

すぐさま、そこを、出ていくだろう。

 

 

 

俺には、それを、止める権利なんか、ない。

 

 

 

あるのは、ただ、居なくなった彼らを想い、

 

 

静かに、過ごす、夜だけである

 

 

 

だが、僕は、お金という、愛くるしい、自分を癒してくれる、存在を、

 

 

 

失った、悲しみを、どうすればいいだろう

 

 

どんなことをすれば、この感情から、逃れられるだろうか

 

 

 

さめざめと、泣くだけだろうか

 

 

身勝手だと、怒ることだろうか

 

 

しかし、お金という、心の支えを失えば、何をしても、その隙間は埋まらず

 

 

 

ただ、時間という神々が決めた定義に則って、

 

 

 

次の給料日を、待つ、だけである

 

 

 

こんな、まるで、戦争に行って、二度と戻らない恋人を

 

 

 

待ち続ける、女のような、気分が、あるだろうか

 

 

かえって、きて

 

 

 

かえって、きて、おかね

 

 

 

 

カムバック!カムバック!

 

 

 

おかね、おかね、おかね

 

 

 

 

 

 

②お金たちは、世界を救うために、自分を犠牲にして、消えてしまった

 

 

 

皆さん、も、ご存知の、とおり

 

 

 

この、世界は、闇、だ

 

 

 

なんらか、の、誕生から、2000と余年が経った

 

 

だが、未だ、世界、から、差別、も、貧困、も、消えず

 

 

 

むしろ、それら、は、寄り集まり、

 

 

消して消えぬ、強敵として、人間の、凡(あら)ゆる感情に、寄生し、

 

 

我々に、立ち塞がっている

 

 

 

我々は、この、脅威を

 

 

食い止める、ことは、できないのか

 

 

彼ら、から、我々を、救う、

 

 

 

ヒーローは、居ないのか

 

 

 

 

いる。

 

 

 

いるのだ。

 

 

 

それがお金だ。

 

 

 

 

彼らは、本当は人間や、その他居る生き物とはまったく違う、次元の狭間から、やってきて

 

 

 

人間の世界に、秩序を、与えたのだ

 

 

 

人間は、愚かだから、お金を、巡って、争いを繰り返したが

 

 

 

しかし、これでも、最低限の、被害に、事態を食い止めたのだ

 

 

 

 

彼らは、人間を、あらゆる脅威から守るために、

 

 

 

身を、粉にし、焦がし、

 

 

そして、人知れず、消滅して、いくのだ

 

 

 

だから、お金が、なくなっても、

 

 

それは、彼らが、

 

 

僕らを、守るためで

 

 

決して、身勝手に、一人で、

 

 

まるで、親の心を知らない子のように

 

 

旅立っていった、訳ではないのだ

 

 

 

だから、お金が、なくなっていたら

 

 

 

それを、憎むのでは、なく

 

 

彼らに、「ありがとう」と思えばいいのだ

 

 

 

そう、なのだ

 

 

そうに、ちがいない

 

 

 

 

 

 

以上、お金が、なくなる、理由について

 

 

 

考察を、してみた

 

 

 

だが、これらは、所詮、すべて、憶測に過ぎず、

 

 

 

分かっていることは、ただ

 

 

 

僕の、貯金は、半分になり、

 

 

 

したがって、もう、戻ることは、ない

 

 

と、いうこと、だけだ

 

 

 

眠ろう

 

 

僕は眠ろう

 

 

 

朝になれば、おかね、は、戻ってこなくても

 

 

アマゾン、に、頼んでおいた、PS4などは

 

 

僕のもとに、やって、くるかも、しれない