人を叩くのが呼吸と同じになってる

 

 

最近、よく思う。

 

日本という国では、ここ最近、人を叩くのが当たり前になっていないか。

 

 

 

 

 

「お前、もしかして、陰キャ?w」

 

1ヶ月前、僕のSNSのリプ欄には、こんなメッセージが送られてきていた。

 

この「陰キャ」という言葉は、もはや定着しすぎて解説が要らないくらいだろう。

 

 

そして、悲しいかな、僕はその「陰キャ」と呼ばれる人々の中でも、

 

かなり最底辺に位置しているという自信があった。

 

なにせ、学校ではいつもみそっかすのようなポジションに居ただけではなく、

 

せっかく始めた仕事も、たった2ヶ月で病気休職してしまうという、

 

いわば、「何も良いところがない」状態だったのだ。

 

 

 

そんなだから、その手の煽りは、悔しいかな、僕に「刺さった」

 

だから僕は相手を口汚く煽り返したし、その後も機を見ては、相手からしつこく煽りが飛んでくるのだった。

 

気がつけば僕は、それから数日、彼に煽られ、また彼を煽り続けていた。

 

最終的には、ブロックしてしまった。

 

 

 

 

そんなことがあってから、月日が過ぎた。時間が経てば、全てを忘れてしまうと思っていたが、

 

生来からの臆病さのせいか、僕は、折に触れては考えていたことがあった

 

それは、なぜ、彼は僕を煽ってきたのだろう。僕に対して、何か気に入らないことがあったのだろうか

 

ということだ。

 

 

 

 

そんな時、たまたまSNSでバズっている意見が目に入ってきた。

 

 

そこには、「最近は嘆かわしいことに、陰キャ陰キャを叩く時代になってきた」

 

と書いてあった。

 

 

そう言えば…僕は思う。

 

僕を煽ってきたアカウントは、よく、

 

自分の学歴があまり良くないこと、

 

就職活動が上手くいかなかったこと、

 

低賃金で我慢して働いていること、

 

などを、SNSで自虐的に話していたはずだ。

 

 

 

なんだ、彼は、僕と同じじゃあないか。

 

僕は、少し安心を覚えると同時に、

 

しかし、これはのっぴきならない、

 

大変な事態であると同時に思った。

 

 

 

それはなぜか?

 

僕は思う。

 

普通、いわゆる「陰キャ」と呼ばれる人間なら、

 

ほかの「陰キャ」と言われる人間に対して、

 

共感意識、仲間意識を持って然るべきだ、と。

 

 

 

だが、僕を煽ってきた彼に、そんな素振りは微塵もなかった。

 

むしろ、こちらを「下」と見るや、

 

喜び勇んで襲ってくる、スラム街のならず者、あるいは、昆虫のような、気質すら感じられた。

 

 

 

「(陰キャ陰キャを叩くのは)同族嫌悪なんだろう」

 

そんな意見が、ネットには書いてあった

 

 

 

だが、僕はそうは思わない。

 

彼らは、同じ境遇の人間を、「同族」だとは思っていないだろう。

 

むしろ、いくら叩いても、貶しても構わない、オモチャの人形以下だとすら、思っているはずだ。

 

 

 

そして、彼は、

 

何か感情的な「理由」があって人を叩いているのではない。

 

叩きやすいから、自分よりも下だから、

 

自動的に、気がついたら、人を叩いているのだ。

 

 

 

僕は、思う。

 

そのような、反射的に人を見下し、叩くような行いは、

 

果たして「人間」のものであると呼べるだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

僕は、僕を煽ってきた彼から、

 

何か、「非人間的な」、恐怖を

 

確かに、感じた。

 

 

 

 

 

 

そして、事は、陰キャ陽キャなどという話に留まらない。

 

 

最近、一つのニュースに対して、莫大とも呼べるバッシングが付いて回るのを、

 

あまりにも、多く、見かけないか。

 

 

此処とは別の、ある国に対して、

 

異様に批判が強まっている。

 

確かに、その国にはその国の、悪いところがあるはずだ。

 

だが、その国の国民まで叩いた所で、僕たちの生活は豊かになるだろうか。

 

ならない、はずだ。

 

 

 

 

僕は、疑う。

 

もしかして、叩く彼らに、目的なんか無いのではないか。

 

ただ、単に、叩きたいから。

 

叩きやすそうだから、叩いているのではないか。

 

 

 

 

改めて、この記事のタイトルに戻ろう。

 

僕は、「人を叩くのが呼吸と同じになっている」と題した。

 

しかし、これだと少し、ニュアンスが違っているだろう。

 

 

呼吸というのは、酸素を取り入れるために、必要だから、することである。

 

 

だが、誰かを叩く人は、そうではない。

 

必要とか、必要じゃないとか、そんな判断を通り越して、

 

「俺たちは人を叩くんだ!それの何が悪いんだ!あっかんべー!べろべろばー!」と、

 

何の目的も無いのにも関わらず、開き直りながら、それをしている。

 

 

 

これは、凄いことだ。

 

倫理観、道徳観、または、もっと言うと、

 

「ひとのこころ」が、無いかのようだ

 

 

 

そして、どんどん人を叩くことが、当然になっていく。

 

 

だれもそれを、おかしいとは思わないかのようだ。

 

 

したがってそれを、止める人も、いない。

 

 

 

かつて、ブルーハーツが、

 

「弱い者たちが夕暮れ、更に弱いものを叩く。その音が響き渡れば、ブルースは加速してゆく」

 

と歌っていた。

 

なんてカッコいい歌詞だろう。

 

 

だが、今、現実は、どうだろうか。

 

 

いくら誰かが叩かれたとしとも、加速するブルースなど何処に存在するだろう。

 

 

弱い者たちが夕暮れ、さらに弱い者を叩く、だけで終わりである。

 

こんなダサい歌詞が、世界の何処にあるだろうか。

 

 

 

終わりに。

 

かく言う僕も、何だかんだと言っては、

 

ネットの世界で「自分より弱い」と見下した相手を、

 

叩いて、しまったことが、ある。

 

 

 

なんだよ、お前も人のこと言えないじゃん、

 

その通りだ。

 

 

 

だが、僕たちは、まだ遅くないはずだ。

 

今から、反省し、

 

悔い改めることは、できる。

 

 

だが、悔やむことさえできなければ、

 

もう、この国は、僕たちの時代は、ずっとこうなんだろうと。

 

思わざるを、得ない。