機械仕掛けの弱者男性、夕陽を見る

(この記事は

中曽根アドベントカレンダー Advent Calendar 2021 の20日目の記事です)

 

機械と化した俺は遂に夕陽を見た。

 

街が巨大なプラネタリウム状の円弧になって川沿いに広がり、そのバックライトとして、赤い赤い、燃え滾る血脈が、包むように、支配するつもりも無く、干渉すらする気配もなく、ただそこに鎮座していた。

 

俺は、嘗(かつ)て学生時代、数少ない友人のハマっていた、ともすると、一緒にDVD観賞会なんかをやったアニメに出てくる、1人の女の子を思い浮かべた。

 

名前はゆずこ。

 

彼女は赤い目と髪をしていた。特に何かトランザムとかを発動する予定もないのに、設定上そういうパーソナルカラーを持っていたんだった。なんならそのアニメは、昔流行った、所謂『日常系』という奴だ。なんでそんな赤い髪をして赤い目をしているのか理由は不明だ。

 

キャラ付けとして、彼女はとにかく友達の唯(ゆい)と縁(ゆかり)を笑わせる。舌の回る頭の回る、可愛い子だ。とにかくひっきりなしに爆笑をとりに来る。その姿が愛らしい。みんな彼女が好きだろう

 

でも、そんなギャグっていうのは、きっと彼女の処世術で、

 

それを身につけるのに、どんな悲しいことが彼女にあったのか、

 

不意に、そんなことを考えていたのを、思い出した。

 

今もし、もしもだ。俺がゆずことデートをしていたなら、(おっ。直球で来たな。キモいぞ)、もしも彼女とこの川沿いに立ちすくんでいたならば、

 

機械の俺は、きっと、彼女のパーソナルカラーと、夕陽との区別がつかなくなって、

 

『どこだ、どこに居るの、行かないで、ゆすこ』

 

そんな風に、夕陽に泣き縋るだろうか。ゆずこは、俺を見て憐むだろうか、怯えるだろうか、それとも、いつもの処世術で、『わっはっは!忍法隠蓑の術じゃい!捕まえてみよ!』なんて、茶目っ気で返してくれるだろうか。

 

 

※※※※※※

 

 

ウィー、カシャ、カシャ、ガコン、パシュッ

 

今日も今日とで、俺の脳の、仕事の疲れにより欠けた部分へのマッサージ治療が始まる。俺は狂おしいほど気持ちがいいその磁気の爆ぜる音に、思わず舌鼓すら打つほどだった。食欲と性欲と疲労抑制の連動を如実に感じてしまう。

 

カシュカシュカシュカシュ、ミ・ミー

 

治療と言っても、それ程大掛かりなものではなく、小さな町の小さな病院で、しかも週1で受けられる程度のものだ。最近は小さな子供でもコレを受けにくるくらいだ。

 

ウィッウィッ、ウィー、シャシャシャ、シャシャシャ

 

それでも、この治療は余りにも効果てきめんで、まるでインスタントラーメンを作るようなノリで、俺のいかれた脳みそを直す。

 

この治療のおかげで、俺は、かつては1日に17時間ほど眠らなくてはならないほど重篤だったうつ病から、立ち直ることができた。最近では、やっとこさ、手に職なんかもある。

 

ピーーーーー。ピーガ、ピーガ、ピーガ

 

機械が動く。俺を直す(≠治す)ために。

俺は、この治療が終わるたびに、なんだか逆に、楽しい気分にさえなるのだった。最近は特にそうだ。町に出掛けるのが楽しみで仕方なくなる

 

※※※

 

『ヂヂリウム』って、聞いたことが無いだろうか。旧いオタクの皆さんなら、おお、と懐かしみを覚えるワードかもしれない。そう、装甲騎兵ボトムズで、敵兵のサイボーグがシャワーみたいに浴びてるのがそれだ。

 

要するに、仕組みはこうだ。ヂヂリウムを浴びなきゃサイボーグは死ぬ。簡単だろう。

 

俺の脳のマッサージも同じで、俺は定期的にコレを受けないと、またうつの生活に逆戻りってわけだ。

 

もっとも、現実って奴は案外上手くできていて、この治療はボトムズに出てくるヂヂリウムほど高価ではなく、単に機械に脳を任せておけばいいだけなのだから、なに、何の心配もあるまい。

 

"心配"---

 

そう、ここまで読んで、近未来って奴はなんとも胡散臭い連中ばかりだと、そう思ったろう。胡乱(うろん)に思えて仕方がなかっただろう。

 

でも、最初に言っておくと、この治療は既に現代に存在する。

 

特に、発達障害なんかにも効果が出るらしく、『頭の良くなる治療』として、注目を浴びることすらあるほどだった。巷では、『この治療を受けて受験を乗り切ろう』なんて本まで出てくるオチだった。まったく、なんて世の中だろうな。

 

"頭が良くなる"---

 

あまり、こう、大っぴらに言うのは、気がひけるんだけど。

 

俺もそのうちの1人だったりするんだ。

 

これを受けた俺が復職した時、自分自身ではなく、周りの人間が驚く始末だった。なにせ、俺は先輩がどうしても組めないから、暇つぶしにと渡された計算書を、俺はたった1日でエクセルに落とした。

 

他の先輩が後日、『君、あれはヤバイ、ヤバイって…』とちょっと色々な感情で伝えてくれたにも関わらず、俺は平然と『ああ。あれは物理IIの回転座標系と、伝熱工学の熱放射の範囲ですから、気になるなら本読んでください』と言ってしまった。

 

先輩の色々な感情が一気に警戒に変わった瞬間だった。いや、俺は、悪気なんて全然無くて、その仕事を渡された瞬間に考えたのだ。『ああ、これは確かに、立場の上の人が作るには時間がかかるな。若手の私がサッと作って、お役に立って見せよう』と。

 

 

 

 

ヂヂリウムは、サイボーグが浴びるものだ。従って、今、事実上、俺も脳を機械化されていることになる。

 

 

 

 

この2年間、やたらと色々なアイデアを思いついては、それを実現したような気がする。勿論失敗もあったけど、成功もあった。

 

それは主に、プログラミングという形で現実に介在して、偶に先輩方に『あいつは勝手なことをやってる』なんて言われながらも、最近ではプロジェクトの一端をそのプログラムが担うほどだ。

 

特に傑作だったのは、2桁の手書き数字を読み上げるAIの前処理だろう。これは、一見地味だし、ぶっちゃけて言えば今はまだなんの利益も出せない。コロナ禍で仕事が無かったから仕方なく自作した。

 

だが、見てくれ、この、『文字がどこにあっても、枠線と被っていても識別する』トリミングを。実に12のモジュールが成すアルゴリズムの行ったり来たりで出来ているんだ。笑っちゃうだろ。病気だな。俺。

 

 

 

 

機械の身体は、最初の6ヶ月くらいは良く動いてくれた。でも、段々と、巻いたゼンマイが次第に動力を失っていくように、脳に、元の病の痛みが生ずるようになり、そして今、俺はひっきりなしに体調不良で仕事を休む。テレ・ワーク下になかったら、とっくにクビだってレベルだ。

 

そうするうちにも俺は、前よりも格段に早いスピードで発表資料を仕上げ、よくわからない思いつきを繰り返してはそれをコーディングしていた。仕事が終わればクタクタになって眠り、また起きて仕事をすれば、クタクタになって眠る。

 

まるで、脳だけじゃなく、本当に、仕事をするための"機械"になったみたいだった。

 

 

※※※

 

 

最近良く、所謂"社会派"的な本を読む。内容は様々だ。太平洋戦争の記載から、韓国への侵略の歴史と反省、今手元にあるのは、チェルノブイリの手記だ。

 

笑っちゃうだろ。機械になる前までは、俺は俺の抱える問題(それは強いて言えば俺の障害故に起きた過去の陰惨な話だ。具体的には大学のサークルを追い出されたりした)で頭の中がグルグルだったのに、機械になった今ときたら、自分自身じゃなく社会の仕組みと差別について、気がかりで仕方ないんだ。

 

まるで、俺は"人間"で居たよりも、"機械"で居た方が幸せだったと告げられるような、そんな気持ちだ。

 

チェルノブイリの本が俺に言う。

 

『おお、哀れなお人よ。私の説く悲しみが、より一層貴方の機械の心を鋭化し、燃やすのか。なんと難儀だろうか。貴方は怒りに任せて私を手に取り、機械しか感じない気の触れた苛立ちで自らを研ぐのだ』

 

そうだ、そうに違いない。俺は、自分のペシミスティックの消費のためにこれを買った。きっと反原発運動だとかをするつもりが無いはずだ。いや、わからないな。機械だもの。そうする方が場の関数が高くなると感じたら、或いは本当にやるかもしれない。

 

※※※

 

ゆずこが夕陽の中で、くるりと踊る。

 

本当はそう、

 

哀れんで欲しいわけでも、怯えて欲しいわけでも、茶化してほしいわけでもなかった。

 

ただ、ただ一言、

 

『大丈夫だよ。機械さん。私はここに居るよ』って、俺の手を握って欲しかった。

 

分かるように。機械化された脳にも、ゆずこを認識できるように。

 

 

 

 

 

機械化された身体をもとに、俺はどこに行くのだろう。壊れて終わりなのか、元の障害持ちとして生きるのか。或いは、もっとわけのわからない事態になるのか。

 

機械化された俺に、買えないものはなかった。貧困さえ自由になった。後はこの痛みさえ消えれば全てが解決する。だが、痛みこそが機械化の親和性それ自体であると気づいた時、おれははたと、考えるのをやめた。街では、若者の貧困を嘆くニュースがやっていた。それを聞いた俺は、更に鋭化する。だが、機械の体になってまでその日を生きるしかなかった俺と、たとえ貧しくとも眩しい生を謳歌する彼等とで、一体どちらが幸せだっただろうか。

 

夕陽に、一体の機械が佇んでいた。そのアイカメラからは涙が流れていたが、夕陽に感動したからではなく、機械労働による内部制御異常のショック反応なのだろう。

 

ゆずこに背をもたれる。疲弊した機械は、なけなしの金で買った衣装が汚れるのも気にせず、そのまま地に伏せるようにゆずこにもたれかかった。

 

夕陽が泣いている。機械と一緒に泣いている。せめてものたむけにと、一枚の毛布代わりに、彼女は着ていたコート私にかけた。夕陽にもたれたまま、私は暫く眠った。

 

双極性障害による、疲労のためだった。

 

起きた時、ゆずこはすでに居なかった。誰も居なかった。一体の機械を残して、後は大いなる宵闇だけがあった。彼女自身が夕陽であった。

 

俺は街中のマクドナルドで、ごまだれのついていないバーガーを注文して、電車で帰宅した。