チノちゃんとプール

季節は反転する

 

俺は、やっとこさ手に入れた休みを利用して、タイムリープの旅に洒落込んだ。もちろん、彼女の分のチケットも用意した。これがまた貧乏社会人には若干痛手を食うような出費で、でも、チノちゃんがなんだかゴキゲンなのを見て、俺はそんな財布のヒモにもスラストドロイドにも気にしなくなっちまった。

 

そんな訳で、俺たちは逆転した時間の中でナイト・プールに来て、煌びやかに熱い、天の主上様御用達の季節に2人して入り浸っていた。

 

彼女の四肢が、性本能もさながらに俺の目を奪う。

 

この逆転した季節もさることながら、チノちゃんのその生めかしい身体つきも、まるでそこに永遠に在るかのように俺には感じられた。なんだ?まるでこれじゃあ、絵画の1ページじゃないか。時間がそこに忠実な騎士として姫さまに口付けをして、とこしえの自由、或いはかなしみへの告別式のように、『原罪』を彼女の肉体から奪ったような、それでいて、知恵の実を食べて、俺と2人で莫大な子供達の系譜を築くのを誘うような、そんなイブのまなざしを彼女はしていた。

 

『なに見てるんですか』

 

不意に彼女が無粋なまでにジロジロと舐め回したせいで、やっこさん、なんだか訝しげにこっちを見据えてきた。

 

だから、俺が思わず、『すまない。君が余りに綺麗で』なんて言った日には、『バカじゃないですか。そんな下世話な褒め方をしても、何もしてあげませんよ』なんてヘソを曲げちまった

 

でも、その顔は、ほんの少し、夜のプールのイルミネートされた光で見えたんだ。ほんの少しだけ、赤らんでいて、幻想の中に俺と2人暮らすことを、きっと満足してくれてるんじゃないかって、そんな勝手な想像だけどさ、俺もいい気になっちまうよな。

 

それからバシャバシャと2人で水を掛け合う。温水が肌に気持ちがいい。

 

誰もいない光の飛礫(つぶて)の中、逆光に、俺たちは抱かれる。眩しすぎる月の光が、おおい、楽しんでるか、お二人さん、なんてこっちに向かって口笛をぴゅうと鳴らす。俺たちは月に向かって会釈をしたんだ。ここは童話の国。パフ=ザ・マジックドラゴンが、ひとりぼっちじゃない場所。

 

※※※

 

夜伽の時間だ

 

チノちゃんは天蓋付きのベッドに横たわっている。

 

俺は、その余りにもお姫様ですよ、と言いたげなお姫様然とした佇まいに、思わず笑ってしまった。

 

怒るチノちゃん。ムードもへったくれもあったものじゃない。でも、だからかな、なんだか俺たちは優しい気持ちで、互いの存在する波動の領域に干渉して…

 

それから、冷たくて淡い時間が、ゆっくりと、克明に俺たちを、暦の流れから引き剥がした。

 

チノちゃんが腕の中で何度も爆ぜた。

 

超新星が、幾重にも、幾重にも新しい星を生み、また白色に鈍化して、更に超新星として拡散していく。

 

宇宙とはそういうものだった。

 

なあ、俺たち人間はさ。毎日をこうしてくだらなく消化していく中で、結局この天上の主上さま達と比べてなにができるってんだろうね。

 

どんなに自分の幸せを誇示しても、どんなに自分の能力をひけらかしても、あるのはただ変わらない、やりきれない日常だ。チノちゃん、チノちゃん、ああ…俺たちはただ幕切れまで、神様たちの飽きちまう前の終曲まで、こんなことを繰り返すのかな。それもちょっとうれしいやね。けど、どうなんだろうな。

 

生まれるっていうのは果たして、君の身体にこうして甘えている時間だけのことを指すのかね。

 

そうこうする間に、チノちゃんは爆ぜきって、後には、血の赤の中に濃いコンプレクシオーが混ざっていた。チノちゃん、好きだ。チノちゃん。おれがそう泣きながら呼びかける。彼女はぜいぜいと肩で呼吸をしながら、それでも俺に答えてくれた。

 

俺たちはこの惨憺たる明日を生きる。例えどんなに来たる日を呪おうとも、枷が心ごと全部縛り上げようとも。這いずる。もがく。足掻き抜く。見ていてくれ、なあ、見ていてくれよ、チノちゃん。俺は自らの存在しない幻想に向かって、そう呟いた。明日が来る。俺達は足掻き続ける。

チノちゃんとご時世の夏

テレビでは、代表選手の猛烈なカッター(カット・ボール)が外角を抉った。審判が雄叫びを上げる。無観客の世界では、テレビの前のお茶の間だけがやけに騒がしかった。唯一冷静なのは、『次の打席はお前を捉えてやるぞ』という打者の一睨みだけだった。

 

『ヒマしてるなら、お皿洗い手伝ってください』

 

チノちゃんが、連日仕事に仕事に仕事を重ねて仕事に浸かってしまった漬け物のようになった俺が、夢にまでみたような零落の連休を手に入れたのを、足蹴りで制する。

 

なぜだいチノちゃん。今日食べたのはデパートのお惣菜だ。君はそれを皿に盛っただけだよ。それを買ってきたのは俺だろう?それ高かったんだよ、お前さんデパートのお惣菜の相場を知ってるのかい。お前さんが軽く平らげた酢豚は肉3切れで1200円だ。高かったんだよそれ。

 

でも、そう言った切たる祈りは、夏の雨の暴風の前に、散り散りになってしまって、俺は雨晒しのプランターの方がまだ待遇が良いんじゃないかと思われるくらいに、彼女のいいようにされていたのだ。昨日は家の大掃除をした。俺は寝ていたかったよ。いや、掃除された家で眠るのはまるで気持ち良くて、夜の起きがけに彼女に淹れてもらったコーヒーに至っては、もうクーっと喉が鳴ってしまったけれども。

 

***

 

お皿洗いが終わって、2人でテレビを見ている。チノちゃんの月の魔力が、俺を刺してくる。笑うなよ。これでも精一杯頭を捻って言ってるんだ。その割にはダサいですね、と彼女にも笑われたけどね。

 

月。なーにが月だ。いや、彼女の美しさはまぎれもなくそれだが、表現の3流さとして、俺は小っ恥ずかしくなる。

 

『まったく冷静な第三者』と称したのが谷川俊太郎

 

『無慈悲な夜の女王』と表したのはシェイクスピア

 

『気ぐるいの』と形容詞化したのはギリシア

 

(いや、ドヤ顔で言ってみたものの、全て適当だ。うろ覚えの引用だよ。責めないでくれよ)

 

文才にとんと明るくない俺は、ただそれを眺めているしかない。花とか風とか星とか、そういった自然の情景は、バカで無教養な俺にとっては単なる綺麗な風景に過ぎず、或いはチノちゃんもそうかもしれなかった。もし誰かを自分のモノにした、彼女の全てを吟じられる、なんで言い出す奴が居たら、それは幸せだけどそうじゃあないだろ。この野郎。幸せを見せびらかしやがってよ。見ろよ、新宿とか銀座とかのデパートに居る顔のいいカップルを。くそうくそう。こほん。まあいい、往々にして人間ていうのは自分のことしか考えていないし、俺もまたそうした1人なんだ。俺たちはインチキ大会も大概にした方がいいぜ。なあ、そうだろ。そうだと言ってくれなきゃあ、俺は自分があんまりに惨めになっちゃうよな。

 

そんな風に感傷に浸っている間にも、彼女の月の魔力は続いている。よせやい、照れるだろう。最初は嬉しさでいっぱいだったんだ。でもどうなのかね。世の中には、朝の世界で働き詰めの若者が居ただろう。星の宝石に囲まれて、それでも孤独な老人も居ただろう。俺の身体にはバカが考えたような疾患が幾重にも打ち込まれている。今は良くても、近い将来、このお惣菜を買ってくることもままならなくなる筈だ。その時は彼女ともお別れかもしれない。

 

***

 

それでも、彼女は月の世界に俺を誘ってくれる。まあ、いいじゃないですか。今を楽しみましょうよ。そんな風にいって、俺の車椅子を押して、野っ原に出かける。

 

夏の夜の草原は、長く続いた雨で湿っていて、俺は思わず『おおい!誰かいるか!遊ぼうよ!』と、子供の頃の友達に向かって叫んでしまった。なんでそんなことをしたんだろう。冷静に考えたら間抜けすぎるんだ。最近ずっとこの調子なんだ。でも、そんなことをしても誰も返事をよこしやしなかったんだな。都合のいい、自分だけのオナニーみたいな御伽話の世界の中には、俺とチノちゃんしか居なかった。だからここには、誰も居ないことになる。

 

草原に佇む。暑い暑い夏が、まもなく覆いを脱ぎ去り、寂しい秋が顔を出し始める。目隠し鬼の手の鳴る方へ、俺とチノちゃんは歩いてゆく。世相って奴が、この夏をしょんぼりな雨で終わらせても、俺たちはみんな夢見がちに、その実散々な将来を生きていくほかがないんだ。俺も、この散々な疾病を引き摺りながら、それでも、歩いて行かなくてはならない。

SNSで一斉を風靡した(と自称している)あのアカウントは、なぜ仕事の愚痴しか言わない低浮上野郎と化したのか

はい。なすーんです。どうも

 

この記事は、読んで字の如く。

 

『どうしてあんなにもSNSにおいて毎晩毎晩目立ちたがり屋丸出しで長文投稿をしてた俺が、突然それを辞めて低浮上地味アカウントへと変貌したのか。ぶっちゃけ他のアカウントとトラブルがあったんだろ』

 

という、極めてセンシティブな話題に触れていきます。この話題アドカレに全く不向きでメチャクチャ後ろ向きですね。まあ、正直僕は、アドベントカレンダーというのが単にブログの寄せ集めという以外の情報を知らないわけで、僕をアドカレに誘ってくれたalbertさんは多分見えないとこで人集めたり大変なんだと思います。誘ってくれてありがとね…

 

さて、本題に戻って、僕が最近SNSに低浮上なのは、以下の理由です。(正直この話題面白くなくない?俺の近況誰も興味無いだろ)

 

①研究開発的な仕事に無尽蔵に創造力を吸い取られてしまい、無職時代に無尽蔵に出てきたクソみたいな投稿がまったく思い浮かばなくなった。

 

②仕事に加えてうつ病が酷くなった

 

はい、なんだかこれだけ書くと『なんだよお前まじめかよ、はーつまんな』と思われる方ばかりでしょう。読んで損した。その通り。ぶっちゃけ本当は他のアカウントとトラブル起こして、涙目敗走してきたんでしょ?というそこのあなた。はい。確かに私は他のアカウントと喧嘩しちゃいましたが、それが一番の問題じゃないんです。信じてくれよ。な。

 

という訳で聴いてください、僕の身に起きた、聞くも涙、語るも涙の労働ブルースを…

 

 

 

【ぼくの労働年表】

 

[1]7月まで…

 

黄金期。一番楽しかった。それもそのはず。うつで突然休職した新人に、そんなに重要な仕事なんか回ってくるはずもないわけで。毎日がホリデー。同僚の方々からも『なんだこのガイジは…』と思われつつも、優しくしてもらっていたわけであります。体調も万全でした。

 

はい。ここで想像してみてください。今まで他人からボロ雑巾かなにかみたいに扱われてきた俺の人生を。いきなりみんなに形式上でも親切にされて、バカな僕は調子に乗ってしまったんですね。与えられていた仕事の簡単さも加わり、『自分は凄い奴だ!』と勘違いし出したのであります。悲しすぎる。

 

そんな折、僕は上司が、『図面を自動で認識するAIみたいのがあればなあ』と漏らしたのを耳にしました。

 

よせばいいのに、調子に乗って、僕はそのぼやきにこう答えてしまうんであります。『あ、ならそれ、俺やりますよ!』

 

[2]8月初旬…

 

そんな訳で、僕は今まで触ったことも見たこともない、いま流行のAIに手を出すことになったのであります。ここで一つ確認をするのですが、僕はその時点で、マジでAIを使うためのプログラム言語について1秒も触れたことがありませんでした。AIを使うためにどんなものが必要なのか、という知識すらなかったんであります。このバカ。

 

当時仲良くしてくれてた、パソコンに詳しいらしい銀猫さんとかカグラさんに『AIってどうやったらできるの?』って聞いたことがあります。2人は『お前は馬鹿か。普通のPCのスペックじゃできねーよ!あとちゃんとプログラムの勉強しろって!』と真摯に答えてくれましたが、なんとかなるでしょ、へいきへいき、と僕は真面目に受け答えしませんでした。頭がおかしい。

 

で、Googleでサンプルプログラムをちまちま、ちまちまとかいつまんで、よせばいいのに作り出したんであります。AIツールを。それがどんな地獄を招くかも知らずに…

 

[2]8月中旬(お盆前)…

動かない。AIが正常に動かない。理由はわからないが、手書き数字の"2"を"8"って読む。は?なんで?俺上司に『やります』って言っちゃったよ。死んじゃうよ。っていうか上司も『できそうになかったらすぐやめてね』って言ってるよ。どうすんのこれ。

 

たが、俺の焦りと無関係に、AIは数字を読み込まないのだった。そもそも数字を正しく読み込まない。余白とか、他の文字とかを誤ってトリミングして、数字だと認識したりするんです。死んじゃうよ。

 

[3]お盆休み中

 

調べる。ただ調べる。俺はただプログラミングの書き方について調べる。お盆明け前まで、図面20枚に対し、正しく数字を読み取れていたのは42%。はっきり言って使い物にならない。休み中だから、もう書いたプログラムにも図面データにも触れず、仕方なくgoogleの無償提供してる環境で練習的にコードを書いてました。ところが、休日を犠牲にしても犠牲にしても、私はAIツールを作ることができません。大きなかぶは抜けません。そもそもどうやればいいのかがわからないのでした。

 

[4]8月中旬(お盆明け)…

 

末期。退勤後、ビッグカメラでこのすばのめぐみん等身大パネルを見て、『どうしてぇ!?どうして僕はカズマみたいにぃ!めぐみんとセックスできないのぉ!?あ…そっかあ…僕が"アニメキャラ"じゃないからだぁ…うひひひ!』と頭の中で叫んでいました。

 

さらに別の退勤後の夜には、黒人青年が貧しさのあまり犯罪をおかし、そのかどで仲間たちにすら差別されて失意のうちに自ら死を選んでしまう夢を見ました。

 

折しもコロナ禍、黒人差別が問題視され、『Bracks lives matter(黒人の命も一大事だ)』が渋谷で叫ばれるような時世でした。

 

黒人のトムが夢の中で僕に言います。『てめえ!この野郎!どうしてこんな研究開発なんかしたんだ!お前の技術による最新のモンタージュのせいで、俺の人生はメチャクチャだよ!』

 

僕は泣きながら夜3時に目が覚めてしまいました。頭やばいマジで。

 

[5]8月下旬…

 

諦め。上司に『すいません…認識率50%切ります…無理っぽいです…』とメールし、もはや投げやりになっていたある日の夜。

 

僕は、完全に魂が抜け、大学時代に仲の良かった友達と、ラインでチンポの話をしていた。ゲラゲラ笑いながら。

 

その時、ふと降りてきた。

 

『待てよ…そう言えば、チンポって大きさが大小様々あるな。今、でかいチンポが数字、小さいチンポをノイズとしたとき、チンポがランダムに各配列に格納されてるとしたら、単に面積に閾値を設ければ、チンポがデカいかどうか、それが文字なのかゴミなのか分かるな…』

 

 

 

 

 

あっ

 

 

 

 

 

 

思いついたァ!!!

 

 

 

 

 

僕は友人に叫んだ。

 

 

 

 

翌日、その通りにプログラムを書き直してみました。結果、文字認識率は79.45%でした。ばかじゃねえの。

 

 

 

はい。と、まあ、こんな訳で、僕の神経は順調にすり減って行き、あれほど無職時代に熱を上げていたSNSにも身が入らなくなるに到るのでした。ここまでお読みくださりありがとうございました。どんな気分だ?時間をドブに捨ててよ。

 

 

終わりに。

 

僕は上述したAIの仕事のほかに、勝手に数値計算の仕事を会社でやってたりする。整理すると、以下3つの仕事をしている。

 

・図面を描く(全くの知識0の状態から先輩に怒られながら無理やり描いてる)

数値計算(自分で勝手に始めた。部署に居る誰も理解できない。見た先輩が『もう大分ついて行けない…』と言い始めた。俺だってついていけない)

・AI(自分で勝手に始めた。部署に居る誰も理解できない。作っていると黒人のトムなどが見えるようになる)

 

 

 

暫く休もう。

 

俺はもうむりだよ。

 

 

 

 

終わり!自業自得!みんなは、しっかり考えて仕事に着手しようね!

緘黙の檻の中で(TMS治療のその後)

ある日の朝、僕の人格は、昨日までとはまるで違っていた

 

 

 

なんだかやたらよく喋るし、冗談なんかを効果的に飛ばす。相手の言葉には大袈裟な、しかし心のこもったリアクションで返す、やたら行動的になる。

 

とにかく、これまでの僕の、根暗で気弱な脆性材料みたいな気質は、風に飛ばされて何処かに行ってしまったみたいだ。

 

 

そして更に、双極性障害のために生じていた、あれほど辛い、苦しい、耐えられないと思っていた過眠と疲労感が、

 

まるで厄介な粗大ゴミと一緒に業者に回収され、二度と姿を見せないかのように、僕の体から取り去られ、消え失せていた。

 

 

 

 

 

TMS治療、というのを、皆さんはご存知だろうか。

 

簡単に説明すると、これは最近出てきたうつ病の治療法で、機械を使って脳に磁気を当てることで、病気で弱っている脳の働きを活性化しよう、というものらしい。(受けといてなんだがよく知らない)

 

うつ病の他にも、発達障害なんかにも効くらしい。僕の病である双極性障害には、これが効く、という立場の先生と、効かない、という立場の先生が居るようだ。

 

(後述するように、僕は効いてしまった。もっとも、僕が誤診でなく本当に双極性障害だったのなら、だが)

 

この方法は、半月前くらいにNHKでも紹介されていて、その時は「へえ、こんな治療法もあるんだ。でも、効かないと嫌だなあ」と思って、その時はスルーした。

 

だが、10月に入って、会社から「1月までに職場に復帰してくれないと、流石にもう君を雇えないよ」と言われてから、決死の覚悟でこの治療を受けることを決意した。

 

 

 

 

なぜ、決死の覚悟だったかって?

 

 

それは、ただ単にクビと隣り合わせの背水の陣を敷いてたって意味じゃない。

 

 

 

 

まず挙がるのが、TMSの費用だ。

 

実に、1回7千円。

 

最低でもだいたい20回は受けなければいけないという話だから、これだけで14万円。たまらない出費だ。

 

(ネットで探せば、1回2万円の病院から3千円程度の病院まで、ピンからキリまで出てきた。最初3千円の病院に行こうとしたが、前述したようにそこの先生は双極性障害にはTMSは効かないとして、治療をお断りされたので断念した)

 

 

 

そして、なにより僕を恐怖させたのが、TMS治療を受けた方が書いた、ブログ記事。

 

 

 

僕は2つほどしか記事を読んでいないが、たしか1人は「20回受けてまったく効果がなかった」、もう1人は「治療を受けたらひどい躁と鬱のピークの繰り返しをするようになった」と書いていた

 

 

更に追い討ちをかけるように、僕の母が「この治療、知り合いが受けたけど、その後も躁と鬱を繰り返して、最後は外に出てこれなくなるまで病状が悪化していたよ」と通院にストップをかけた。

 

 

僕は気が気ではなかった。

 

 

今になって考えたら、なぜ、TMSを受ける気になったのか分からない。

 

おそらく、「ここで無理にでも治さなければクビだ」という恐怖と、「現状の、いつ治るとも分からない状態から、脱却したい」という感情が相まって、恐怖感を上回り、僕を行動させたのだろう。

 

 

 

 

 

 

だが、結果を先に言うが、この判断は大正解に終わった。

 

 

僕は、18回目の治療を受けた次の朝から、いきなり人間が変わったような、

 

いや、こう書くと、まるで躁転したかのように思われて良くないな。

 

こう表現しよう。

 

僕はまるで、「2年前の、健康だった自分に戻ったような」、そんな状態になった。

 

 

 

治療の経緯をざっくばらんに説明しよう。

 

 

TMS治療1回目の翌日、僕は実に2ヶ月ぶりに、午前中に、しかも7:00という時間に起きることに成功した。

 

 

今まで双極性障害につき、どんなに早くても12:00に起きていたことを考えると、快挙と言ってもいい。(もちろん、それまでも、夜は25:00くらいには寝つける生活をしていた。要するに11時間睡眠がデフォルトだったのだ)

 

 

しかも、その日は、いつも(11時間睡眠にも関わらず)していた昼寝を、まったくしなかった。

 

 

 

さて、TMS1回目を受けたその後は、朝起きても我慢できずに3時間ぐらい昼寝をしてしまう時期や、そもそも12:00ほどに起きてしまう時期が繰り返された。

 

 

18回目を受けた日までは、確かに、TMSを受ける前と受けた後では、格段に体調が良好になっていると感じた(眠気・疲労・無気力感に襲われる頻度が確かに減っていた)ものの、

 

 

とても今の体調では、会社勤めなどできないだろう、ああ、治療を受けるんじゃなかったな…と思っていた。

 

 

 

 

だが、その次の日を境に、劇的な変化が、僕の体に訪れる

 

 

 

 

僕はその日、あまりにも体調が良すぎて、「は?」と思った。

 

 

 

 

体が、軽い。自由が効く。

 

 

体だけではない。

 

 

思考が、自分の意思が、

 

 

まるで、今まで80mの遠投を、丸めたティッシュを投げつけて届かせようとしていたかのように、頼りなく、風に攫われていって相手に届かなかったものが、

 

 

今日からは、まるで自分が弓の名人になって、200m先の相手にすら正確に自分の言わんとすることを伝えられるような、そんな自信にすら溢れていた。

 

 

 

僕は思う。

 

 

 

今までの僕は、なんだったのだろう。

 

 

 

双極性障害がひどくなってからというものの、僕は、どんなに親しい友人同士でも、もっと言うと家族とすら、3人以上で集まるとまったく会話に参加できなくなっていた。

 

 

とにかく、「相手と喋りたいことが思いつかない」のだ。

 

 

彼らと居る時、空白の、それでいて切迫の、倒錯の、崩落の時間が、僕を過ぎていった。

 

 

 

それが、今はどうだ

 

 

 

 

僕は、なんだったら、うざったいほどの冗談の量を、言葉に、会話に仕込み、それを相手に無理やり聞かせることができるだろう。

 

 

そうでなくても、相手の話をよく聴き、その感想と共に自分の伝えたいことを伝え、聴き手と話し手の時間のバランスを間違えることもない。

 

 

更には、いきなり自分がラジオパーソナリティーになって、「台本なしで1人で30分喋ってください」と言われたって、僕は(面白いかは別として)即興で小話を作ることができるだろう。(これは実際に実行した。できた)

 

あの、シャイを煮詰めたような、病気だった頃の僕は、何処に行ってしまったのだろう。

 

(こう言うと同じ病気の方に失礼なように聴こえるが、そうではない。個人的には、弱気なのは本当はその人個人の責任ではなく、病気が全ての原因だと感じる。だから、あなたの病気が治ることを切に願う。そして、治らなくてもそれはあなたのせいではない)

 

 

 

 

そんな訳で!今日付けで、僕は会社に復職することが決まった。来月からまた会社員。給料も、2割減だったのが元に戻る。

 

 

 

しかし今まで、会社はよく、僕みたいな奴に給料をくれていたものだ。ともすると彼らはボーナスなんかも僕にくれた。

 

これらは全て、TMSの高額費用に充てがわれた。

 

本当に、本当に、会社にはお世話になった。また、周囲の友人、家族にも、同様に世話になっただろう。

 

辛い時期にあった僕を、今までよく、見守ってくれたと思う。

 

 

 

 

終わりに

 

 

この記事は、別にTMSを人に勧めるものではない。むしろ、僕は運が良かっただけで、1つ間違えればまだ病床で唸っていたかもしれない。

 

 

また、僕は今体調が良いだけで、これからどうなるかは分からない。ともすると会社勤めの中で病がぶり返すかもしれない。

 

 

だが、今、確信を持って言えるとすれば、それは、「この病が良くなるというのは、どんなに人生を変えてしまうことだろう」というセリフだ

 

 

最初に書いたように、僕は明るくなった。

 

 

あまりの変化に、最初、家族と会社は、僕を躁だと疑った。やがて、僕のそぶりから僕を正常だと認めた。

 

 

それだけではない。

 

 

学生の頃、あれだけ理解出来なかった学問の内容が、4日かそこら、2時間ずつ専門書を読んだだけで理解することができた。

 

 

 

病気の先生曰く、「TMSを受けて頭が良くなる、という事例もある」らしい。(これは前述した「発達障害にも効く」という事項なのかもしれない)

 

 

 

 

この病は、本当に苦しい。

 

 

疲労感・眠気に襲われるのもさることながら、自分の人格が歪められ、自分のしたい主張も届かず、耳を傾けたい相手の言葉も受け取れず、自分の能力・個性をまったく発揮出来なくなることは、想像を絶する苦役だった。

 

 

 

もし

 

 

もし、この、TMSという治療法が、

 

 

万人に効き、安価に受けられるようになるなら、

 

 

そんな日が来たら、どんなに良いか。

 

 

僕は医療工学に詳しくない。従って、無責任に祈ることしかできない。

 

 

 

だが

 

 

 

この記事を読んだ、僕と同じ立場の人が、自分の病状も、良くなるかもしれないと、希望を持ってくれたら、

 

 

 

純粋に、僕は嬉しいと思う

 

 

 

果てしない無責任の上、僕は願う

 

 

 

僕たちの能力が、個性が、如何なるものにも邪魔されずに、発揮される日を。

平衡感覚が無いまま茶菓子屋に入った

一時期絶対的な猛威を振るい、1日の活動時間をわずか5時間程度にまで狭めたうつ病も、14万という高額医療費と引き換えになんとかその勢力を畳んでくれた。

 

しかし、それは即ち、1日8時間フルタイムの労働が可能になったと言うわけでは決してなく、鬱の代表的症状である睡眠時間の過多と慢性的な疲労感は、未だ平日の日が高いうちから現れては、僕の復職を阻んでいた。

 

と、まあ、表現技法盛り盛りでうざったく書いてみたが、要するに鬱はまだ治ってませんというだけの話なのだが。

 

もう表れた症状を逐一書いていくのもめんどいので、代表的なものを挙げると、平衡感覚がおかしくなっているので困っている。

 

特に階段が辛い。一段一段降りる度に、足を滑らせて落っこちやしないかとヒヤヒヤする。

 

平衡感覚というか、より厳密に言うと、奥行きの感覚が掴めなくなっている。3次元がy方向にぶれぶれになるのだ。こわい。こまる。

 

 

 

で、そんな中で外をほっつき歩くもんだから、危ないったらありゃしない。だけど、仕方ないんだ。この病気には散歩が効くと言われてるんだ。外に出なきゃいいとか言わないでくれ。

 

今日の散歩は、デカいビルが立ち並んだ道沿いにひたすら歩いて行くコースだった。

 

デカいビルのひとつひとつは、見目も綺麗に作られており、それらが立ち並んだ姿は確かに気持ちを幾ばくか高揚させるのだが、それも長く(1時間半くらい?)歩いていると飽きる。足が辛い。

 

 

 

と言うわけで、僕は疲れた足を休ませるべく、一軒の喫茶店?に寄った。

 

 

いや、ここを喫茶店と言うべきか。内装は何だか異様な程に和風で、飲み物も、コーヒーの代わりに緑茶なんかを出している。

 

そのくせ、緑茶とのセット価格でアイスクリームなんかを出しているもんだから、僕は益々、ここがどんな店なのか混乱してしまう。

 

僕はとりあえず、その甘味と緑地のセットを女主人?にたのむ。

 

と、外からひょっこりと菓子職人のおじいさんがやって来て、まるで能の面のような顔でニタニタ笑いながら、何か細かな作業を始めるのであった。

 

僕はたかだかアイスクリームを出すのに、そんな作業量が要るのかと、ちょっと訝しんでしまう。

 

 

 

 

ややあって、アイスクリームは出てきた。それも、2種類も。季節のフルーツの盛り合わせと共に。

 

 

僕は狼狽する。

 

今僕の目の前にあるそれは、明らかにサービス過剰とも言える盛り・彩りであり、したがって僕は甘味とお茶セットの値段を間違えたのかと勘違いしてしまったのだ。

 

ややあって、先ずは胡麻ペーストのアイスクリームを口に運ぶ。

 

 

 

 

しぬほどうまい

 

 

 

 

 

うまーーーい!

 

 

 

もうその時のことを思い出すだけで、僕のIQは2ぐらいになってしまう。

 

 

とにかく美味い。美味い。

 

 

やったあ!って感じ。

 

 

続けてジンジャーペーストのアイスクリームを食べる。

 

 

 

 

 

うまーーーい!!!!!

 

 

 

フルーツの盛り合わせを食べる

 

 

 

うままい!!うまーーーい!

 

 

いや、僕はなにも、味についてレビューするのが面倒になったわけじゃないんだ。

 

ただもう、このアイスクリーム達を、美味いとしか形容できないんだ。

 

 

まるで夢を見ていたかのようだった。

 

 

いや、ひょっとすると、自分は薬でトリップしてただけで、本当に夢を見ていたかのではないのだろうか。

 

 

お店の女主人?と菓子職人のおじいさんに、しこたま「美味しかったです!」と言ってから、店を後にした。

 

 

 

僕はもうこの上なく幸せになってしまい、「食事、睡眠、アリナミン♪」と、アリナミンのCMソングを小さく歌い始めてしまった。

 

周りをよく見ていなかったから、その状態で道の段差に足引っ掛けて、コケそうになった。

 

 

 

以上!

新しくブログを始めるにあたって

3ヶ月ぶりの更新にあたって、以下のような変更点を設けようと思う

 

①過去に書いた記事の中で、つまらないものは消す

 

僕の書く文章は、とにかくくどい。安いスーパーマーケットで売ってる、安い油を使って揚げたコロッケみたいな感じだ。既にこの表現からくどいわけだが。

 

で、今現在で読み返して、特にくどさが酷くて読むに耐えないな、と思える記事に関しては、全て削除した。

 

なんとまあ、半数の記事が削除されてしまったわけだが。

 

しかし、それも仕方ない。

 

今まで野放図に書き連ねてきた文章を、人に見られたら非常に困るのだ。

 

ただでさえ僕の冗談はいつも滑るのに、その中でも選りすぐりのつまらない奴を発掘されたらと思うと、僕はもう怖くてインターネットもできない。

 

そんな訳で、明らかにつまらない、人に見られたら危険な記事は、全てお蔵入りとなった。

 

また、残った記事も、実を言えば特に面白いというわけではないのだが、つまらない中にも僕が気に入っているものなどはある訳で。

 

要するに、それらは自分で見返すために残しておいているので、なんだよ、残した記事もつまんないじゃんという真っ当な批判も、ここでは控えて貰えるとうれしい。そもそも僕に面白さを期待するのが間違いだ。

 

 

②これから書く記事は、ちゃんと推敲してから公開する。特に、自分に酔ったような表現技法を避ける。

 

僕は大学時代によく、「お前は自分の書いたものを自分で見返さないのか」と怒られたものである。

 

ぼくは、素直に「はい、見返しません、めんどいので」と返したかったが、そうすると更に怒られそうなので何も言わないで済ませてきた。

 

この悪癖は、文章を書く上で最悪の障害になった。なぜって、①でも書いたように、後で記事を読み返すと死ぬほどつまらなかったという事が頻発したのだ。

 

今更ながら、自分のズボラさをちょっと反省しようと思う。

 

特に、表現技法。

 

もう具体例を挙げるとキリがないのだが、例えばパフェを食べた時の感想に、「そのマンゴーの酸味は、見たこともない遠い異国の国の踊りを俺たちに見物させるようだった」とか書かないでほしい。

 

大袈裟なんだ、なにもかもが。読んでる人引いちゃうでしょ。

 

もうこの手の恥をかくのは懲り懲りなので、自分の書いたものは冷静な目で見て、アラがないかちゃんと検証するようにしたい。

 

以上。

 

ついでにこの記事は校正してません。

呼吸をするようにエロ漫画を読んでいる

 

 

タイトルの通りで、特に語ることも無いが、

 

 

今日はこの議題について深く掘り下げていこうと思う。

 

 

 

実のところ、俺は、

 

 

毎日のようにエロ漫画を買っては、

 

 

それを主に、エンターテイメントとして楽しんでいる。

 

 

 

「エンタメとして」とはどういう事かと言えば、

 

 

みなさんがテーマパークでジェットコースターに乗るとか、

 

 

或いは、仕事帰りにボルダリングを楽しむとか、

 

 

そう言った感覚で、エロ漫画を読んでいるという、意味だ。

 

 

 

 

ここでこの記事を終われば、単に、

 

「底辺の人間が自分の趣味について語っている」といった捉え方しかされず、

 

 

また悲しいかな、実際のところそうなのだが、

 

 

もう少し待ってほしい。

 

僕に、これを読むことの楽しさを、貴方に伝えることを、許してほしいのだ。

 

 

 

 

 

 

「エロ漫画を読む楽しみ」

 

 

それは、プロジェクションマッピングを通して、様々な景色を見る事に似ている。

 

 

 

これだけ言われると、ピンと来ない人が多いので、さらに説明しよう。

 

 

エロ漫画とは、一冊購入するだけで、

 

眼前を、実に様々な人格のヒロインたちが飛び回り、

 

踊り、歌い、舞台に花を咲かせるように舞う。

 

 

 

彼女たちのストーリーは、(中にはそれ単体で強いメッセージ性を帯びるものもあるものの)基本的にはそれ1つでは弱く、

 

所謂、ありきたりで、読者の性的な欲求を満足させるための、

 

オマケにすぎないことが多々ある。

 

 

 

 

 

だが、それが寄り集まれば、どうだ。

 

 

ありきたりなはずだったストーリーは、

本命のエロティックな描写と共に捻れ会い、

 

 

それがやがてズームアウトし、目では追えないほど極小の世界の出来事となり、

 

そして気づけば大量の雨粒と化して、

 

地面を、あの屋根を、この身体を、濡らすように、なるではないか。

 

 

 

 

この表現で分からなかった人に説明すると、

 

 

要するに、大量にエロ漫画を購入すると、

 

 

一つ一つの話のラッシュに、身体が埋没するかのように感じられて、

 

 

とても良い、という事だ。

 

 

 

 

(これでも分からなかったという人については、考えないこととする)

 

 

 

 

さて、プロジェクションマッピングは、このエロ漫画の織りなす光の機微に、非常に似ていると思う。

 

 

 

想像しても見たまえ。

 

 

 

今まで東京駅に居た貴方が、

 

映像の魔力で、いきなり極寒の北極に飛ばされ、

 

 

流氷が砕け散り、その中の結晶一つ一つの形状が、

 

夜光の中の蜘蛛の巣のように鮮明に見える様を。

 

 

かと思えば、いきなりそこは恐竜の国。

 

B.C.6500年前という太古の地球が、

 

マグマの鼓動と共に大地を震わせ、

 

弱肉強食、血潮湧き踊る脈動を醸し出す、その圧巻を。

 

 

 

 

そして、舞台は未来。

 

光のつぶてが、永遠と伸びるかのような宇宙エレベーターの支柱を流れ、

 

それに包まれ、燥(はしゃ)ぐ10人の子供たちの表情。

 

 

今から、ここから、冒険がはじまる、人類史の新たなる「第1話」のページを。

 

 

 

そう。

 

 

プロジェクションマッピングも、エロ漫画も、

 

実に人々に多くの物語を見せ、

 

そのラッシュで、まるで人を攻め立ててくるような、

 

マシン・ガンの連撃の構成をしているのだ。

 

 

 

 

もう、これ以上の、説明は、必要あるまい。

 

貴方は、すぐにでも、DMMの会員になり、

 

或いは、秋葉原の、とらのあなに向かい、

 

 

手に取れるだけの、エロ漫画を、購入するべきた。(しなくとも良いが)

 

 

 

 

物語の世界は、余りに無制限だ。

 

現実に降り注ぐ雨のパターンを、凌いでしまうようだ。

 

 

僕たちは、そんな物語の洪水に溺れ、その中を掻い潜る、一匹の魚だ。

 

 

何が言いたいか、分からなくなってきた。

 

 

 

とにかく、

 

 

エロ漫画はいいよ!