緘黙の檻の中で(TMS治療のその後)

ある日の朝、僕の人格は、昨日までとはまるで違っていた

 

 

 

なんだかやたらよく喋るし、冗談なんかを効果的に飛ばす。相手の言葉には大袈裟な、しかし心のこもったリアクションで返す、やたら行動的になる。

 

とにかく、これまでの僕の、根暗で気弱な脆性材料みたいな気質は、風に飛ばされて何処かに行ってしまったみたいだ。

 

 

そして更に、双極性障害のために生じていた、あれほど辛い、苦しい、耐えられないと思っていた過眠と疲労感が、

 

まるで厄介な粗大ゴミと一緒に業者に回収され、二度と姿を見せないかのように、僕の体から取り去られ、消え失せていた。

 

 

 

 

 

TMS治療、というのを、皆さんはご存知だろうか。

 

簡単に説明すると、これは最近出てきたうつ病の治療法で、機械を使って脳に磁気を当てることで、病気で弱っている脳の働きを活性化しよう、というものらしい。(受けといてなんだがよく知らない)

 

うつ病の他にも、発達障害なんかにも効くらしい。僕の病である双極性障害には、これが効く、という立場の先生と、効かない、という立場の先生が居るようだ。

 

(後述するように、僕は効いてしまった。もっとも、僕が誤診でなく本当に双極性障害だったのなら、だが)

 

この方法は、半月前くらいにNHKでも紹介されていて、その時は「へえ、こんな治療法もあるんだ。でも、効かないと嫌だなあ」と思って、その時はスルーした。

 

だが、10月に入って、会社から「1月までに職場に復帰してくれないと、流石にもう君を雇えないよ」と言われてから、決死の覚悟でこの治療を受けることを決意した。

 

 

 

 

なぜ、決死の覚悟だったかって?

 

 

それは、ただ単にクビと隣り合わせの背水の陣を敷いてたって意味じゃない。

 

 

 

 

まず挙がるのが、TMSの費用だ。

 

実に、1回7千円。

 

最低でもだいたい20回は受けなければいけないという話だから、これだけで14万円。たまらない出費だ。

 

(ネットで探せば、1回2万円の病院から3千円程度の病院まで、ピンからキリまで出てきた。最初3千円の病院に行こうとしたが、前述したようにそこの先生は双極性障害にはTMSは効かないとして、治療をお断りされたので断念した)

 

 

 

そして、なにより僕を恐怖させたのが、TMS治療を受けた方が書いた、ブログ記事。

 

 

 

僕は2つほどしか記事を読んでいないが、たしか1人は「20回受けてまったく効果がなかった」、もう1人は「治療を受けたらひどい躁と鬱のピークの繰り返しをするようになった」と書いていた

 

 

更に追い討ちをかけるように、僕の母が「この治療、知り合いが受けたけど、その後も躁と鬱を繰り返して、最後は外に出てこれなくなるまで病状が悪化していたよ」と通院にストップをかけた。

 

 

僕は気が気ではなかった。

 

 

今になって考えたら、なぜ、TMSを受ける気になったのか分からない。

 

おそらく、「ここで無理にでも治さなければクビだ」という恐怖と、「現状の、いつ治るとも分からない状態から、脱却したい」という感情が相まって、恐怖感を上回り、僕を行動させたのだろう。

 

 

 

 

 

 

だが、結果を先に言うが、この判断は大正解に終わった。

 

 

僕は、18回目の治療を受けた次の朝から、いきなり人間が変わったような、

 

いや、こう書くと、まるで躁転したかのように思われて良くないな。

 

こう表現しよう。

 

僕はまるで、「2年前の、健康だった自分に戻ったような」、そんな状態になった。

 

 

 

治療の経緯をざっくばらんに説明しよう。

 

 

TMS治療1回目の翌日、僕は実に2ヶ月ぶりに、午前中に、しかも7:00という時間に起きることに成功した。

 

 

今まで双極性障害につき、どんなに早くても12:00に起きていたことを考えると、快挙と言ってもいい。(もちろん、それまでも、夜は25:00くらいには寝つける生活をしていた。要するに11時間睡眠がデフォルトだったのだ)

 

 

しかも、その日は、いつも(11時間睡眠にも関わらず)していた昼寝を、まったくしなかった。

 

 

 

さて、TMS1回目を受けたその後は、朝起きても我慢できずに3時間ぐらい昼寝をしてしまう時期や、そもそも12:00ほどに起きてしまう時期が繰り返された。

 

 

18回目を受けた日までは、確かに、TMSを受ける前と受けた後では、格段に体調が良好になっていると感じた(眠気・疲労・無気力感に襲われる頻度が確かに減っていた)ものの、

 

 

とても今の体調では、会社勤めなどできないだろう、ああ、治療を受けるんじゃなかったな…と思っていた。

 

 

 

 

だが、その次の日を境に、劇的な変化が、僕の体に訪れる

 

 

 

 

僕はその日、あまりにも体調が良すぎて、「は?」と思った。

 

 

 

 

体が、軽い。自由が効く。

 

 

体だけではない。

 

 

思考が、自分の意思が、

 

 

まるで、今まで80mの遠投を、丸めたティッシュを投げつけて届かせようとしていたかのように、頼りなく、風に攫われていって相手に届かなかったものが、

 

 

今日からは、まるで自分が弓の名人になって、200m先の相手にすら正確に自分の言わんとすることを伝えられるような、そんな自信にすら溢れていた。

 

 

 

僕は思う。

 

 

 

今までの僕は、なんだったのだろう。

 

 

 

双極性障害がひどくなってからというものの、僕は、どんなに親しい友人同士でも、もっと言うと家族とすら、3人以上で集まるとまったく会話に参加できなくなっていた。

 

 

とにかく、「相手と喋りたいことが思いつかない」のだ。

 

 

彼らと居る時、空白の、それでいて切迫の、倒錯の、崩落の時間が、僕を過ぎていった。

 

 

 

それが、今はどうだ

 

 

 

 

僕は、なんだったら、うざったいほどの冗談の量を、言葉に、会話に仕込み、それを相手に無理やり聞かせることができるだろう。

 

 

そうでなくても、相手の話をよく聴き、その感想と共に自分の伝えたいことを伝え、聴き手と話し手の時間のバランスを間違えることもない。

 

 

更には、いきなり自分がラジオパーソナリティーになって、「台本なしで1人で30分喋ってください」と言われたって、僕は(面白いかは別として)即興で小話を作ることができるだろう。(これは実際に実行した。できた)

 

あの、シャイを煮詰めたような、病気だった頃の僕は、何処に行ってしまったのだろう。

 

(こう言うと同じ病気の方に失礼なように聴こえるが、そうではない。個人的には、弱気なのは本当はその人個人の責任ではなく、病気が全ての原因だと感じる。だから、あなたの病気が治ることを切に願う。そして、治らなくてもそれはあなたのせいではない)

 

 

 

 

そんな訳で!今日付けで、僕は会社に復職することが決まった。来月からまた会社員。給料も、2割減だったのが元に戻る。

 

 

 

しかし今まで、会社はよく、僕みたいな奴に給料をくれていたものだ。ともすると彼らはボーナスなんかも僕にくれた。

 

これらは全て、TMSの高額費用に充てがわれた。

 

本当に、本当に、会社にはお世話になった。また、周囲の友人、家族にも、同様に世話になっただろう。

 

辛い時期にあった僕を、今までよく、見守ってくれたと思う。

 

 

 

 

終わりに

 

 

この記事は、別にTMSを人に勧めるものではない。むしろ、僕は運が良かっただけで、1つ間違えればまだ病床で唸っていたかもしれない。

 

 

また、僕は今体調が良いだけで、これからどうなるかは分からない。ともすると会社勤めの中で病がぶり返すかもしれない。

 

 

だが、今、確信を持って言えるとすれば、それは、「この病が良くなるというのは、どんなに人生を変えてしまうことだろう」というセリフだ

 

 

最初に書いたように、僕は明るくなった。

 

 

あまりの変化に、最初、家族と会社は、僕を躁だと疑った。やがて、僕のそぶりから僕を正常だと認めた。

 

 

それだけではない。

 

 

学生の頃、あれだけ理解出来なかった学問の内容が、4日かそこら、2時間ずつ専門書を読んだだけで理解することができた。

 

 

 

病気の先生曰く、「TMSを受けて頭が良くなる、という事例もある」らしい。(これは前述した「発達障害にも効く」という事項なのかもしれない)

 

 

 

 

この病は、本当に苦しい。

 

 

疲労感・眠気に襲われるのもさることながら、自分の人格が歪められ、自分のしたい主張も届かず、耳を傾けたい相手の言葉も受け取れず、自分の能力・個性をまったく発揮出来なくなることは、想像を絶する苦役だった。

 

 

 

もし

 

 

もし、この、TMSという治療法が、

 

 

万人に効き、安価に受けられるようになるなら、

 

 

そんな日が来たら、どんなに良いか。

 

 

僕は医療工学に詳しくない。従って、無責任に祈ることしかできない。

 

 

 

だが

 

 

 

この記事を読んだ、僕と同じ立場の人が、自分の病状も、良くなるかもしれないと、希望を持ってくれたら、

 

 

 

純粋に、僕は嬉しいと思う

 

 

 

果てしない無責任の上、僕は願う

 

 

 

僕たちの能力が、個性が、如何なるものにも邪魔されずに、発揮される日を。