チノちゃんとプール

季節は反転する

 

俺は、やっとこさ手に入れた休みを利用して、タイムリープの旅に洒落込んだ。もちろん、彼女の分のチケットも用意した。これがまた貧乏社会人には若干痛手を食うような出費で、でも、チノちゃんがなんだかゴキゲンなのを見て、俺はそんな財布のヒモにもスラストドロイドにも気にしなくなっちまった。

 

そんな訳で、俺たちは逆転した時間の中でナイト・プールに来て、煌びやかに熱い、天の主上様御用達の季節に2人して入り浸っていた。

 

彼女の四肢が、性本能もさながらに俺の目を奪う。

 

この逆転した季節もさることながら、チノちゃんのその生めかしい身体つきも、まるでそこに永遠に在るかのように俺には感じられた。なんだ?まるでこれじゃあ、絵画の1ページじゃないか。時間がそこに忠実な騎士として姫さまに口付けをして、とこしえの自由、或いはかなしみへの告別式のように、『原罪』を彼女の肉体から奪ったような、それでいて、知恵の実を食べて、俺と2人で莫大な子供達の系譜を築くのを誘うような、そんなイブのまなざしを彼女はしていた。

 

『なに見てるんですか』

 

不意に彼女が無粋なまでにジロジロと舐め回したせいで、やっこさん、なんだか訝しげにこっちを見据えてきた。

 

だから、俺が思わず、『すまない。君が余りに綺麗で』なんて言った日には、『バカじゃないですか。そんな下世話な褒め方をしても、何もしてあげませんよ』なんてヘソを曲げちまった

 

でも、その顔は、ほんの少し、夜のプールのイルミネートされた光で見えたんだ。ほんの少しだけ、赤らんでいて、幻想の中に俺と2人暮らすことを、きっと満足してくれてるんじゃないかって、そんな勝手な想像だけどさ、俺もいい気になっちまうよな。

 

それからバシャバシャと2人で水を掛け合う。温水が肌に気持ちがいい。

 

誰もいない光の飛礫(つぶて)の中、逆光に、俺たちは抱かれる。眩しすぎる月の光が、おおい、楽しんでるか、お二人さん、なんてこっちに向かって口笛をぴゅうと鳴らす。俺たちは月に向かって会釈をしたんだ。ここは童話の国。パフ=ザ・マジックドラゴンが、ひとりぼっちじゃない場所。

 

※※※

 

夜伽の時間だ

 

チノちゃんは天蓋付きのベッドに横たわっている。

 

俺は、その余りにもお姫様ですよ、と言いたげなお姫様然とした佇まいに、思わず笑ってしまった。

 

怒るチノちゃん。ムードもへったくれもあったものじゃない。でも、だからかな、なんだか俺たちは優しい気持ちで、互いの存在する波動の領域に干渉して…

 

それから、冷たくて淡い時間が、ゆっくりと、克明に俺たちを、暦の流れから引き剥がした。

 

チノちゃんが腕の中で何度も爆ぜた。

 

超新星が、幾重にも、幾重にも新しい星を生み、また白色に鈍化して、更に超新星として拡散していく。

 

宇宙とはそういうものだった。

 

なあ、俺たち人間はさ。毎日をこうしてくだらなく消化していく中で、結局この天上の主上さま達と比べてなにができるってんだろうね。

 

どんなに自分の幸せを誇示しても、どんなに自分の能力をひけらかしても、あるのはただ変わらない、やりきれない日常だ。チノちゃん、チノちゃん、ああ…俺たちはただ幕切れまで、神様たちの飽きちまう前の終曲まで、こんなことを繰り返すのかな。それもちょっとうれしいやね。けど、どうなんだろうな。

 

生まれるっていうのは果たして、君の身体にこうして甘えている時間だけのことを指すのかね。

 

そうこうする間に、チノちゃんは爆ぜきって、後には、血の赤の中に濃いコンプレクシオーが混ざっていた。チノちゃん、好きだ。チノちゃん。おれがそう泣きながら呼びかける。彼女はぜいぜいと肩で呼吸をしながら、それでも俺に答えてくれた。

 

俺たちはこの惨憺たる明日を生きる。例えどんなに来たる日を呪おうとも、枷が心ごと全部縛り上げようとも。這いずる。もがく。足掻き抜く。見ていてくれ、なあ、見ていてくれよ、チノちゃん。俺は自らの存在しない幻想に向かって、そう呟いた。明日が来る。俺達は足掻き続ける。